

ここに通った人達には忘れえぬ
大切な地のはず、
何時かは自然に埋もれて
しまうかもしれない
この風景を
ここに来る事が出来ない
卒業生の方に。
体力のあるうちにと頑張った甲斐が
あったようです。
また何年かしたら訪れて見たいと想っていますが、
果たして体力と根性があるかどうか。
1964年頃小学校(西)の遠足で初めて訪れ、
1971年中学の親友と2度目、そして1989年3度目。
自然の刻の流れの中では一瞬なのでしょうが
人にとっては遠い過去の出来事。

暗く草木に覆われて
風雨に晒され
雪に埋もれ、凍て付き、
堪えているモニュメント。
奥に進むと拡がる笹薮。
足元は全く見えない。
谷の底で右から流れてきた
小川と合流後の眞谷地川
眞谷地小学校・眞谷地神社跡に向う道。
ほぼ獣道。

今回は気温が高くなく助かったが
段々機材が重く感じられるように
なってきた、テレ側はE-3、ワイド
側はα900と二台常にぶら下げて
ウエスとバックにそれぞれの替え
玉を2本から3本入れ歩き廻るし、
時には中型の三脚も担いで移動
する事になる。流石に最近は
動画撮影用のHDR-FX1までは
一緒に持ち歩かなくなったが、
老体には堪える。
食料品等は週に一回
農協の移動販売車が
来るそうだが、
選択肢が限られていて
品揃えも毎回それ程
変化が無いそうで、
違う物や大きな買い物は
遠くまで出掛けなくては
ならないそうでした。
少しづつ変って行く風景。
老齢化する建物。
住む人々も刻と共に歳を重ね
この地を去って行く。
撮影時誰とも擦違う事
無かったが
撮影していて不審に思って
出て来られた方とお話出来、
嬉しかった。
撮影を承諾くださりありがとう
ございました。

眞谷地神社跡で見つけた鉄柱














大曲と呼ばれている、私の遊び場だった処、
ゲートの向うの道は当時この3分の1位の幅で
湿ってぬかるんでいた。
眞谷地西小学校のマラソンコースだった大曲は
四部を経て沼ノ沢に到る。
よくリスに遭遇した処で今回も顔を出してくれた、
美しい雌鹿にも遭遇したのだがシャッターが
間に合わなかった。


空も殆ど見えず、
陽が余り射し込まない。






言葉を失った。何時かはと覚悟はしていたが、
現実となった光景は大変な喪失感となり私に襲い掛かってきた。
基礎と玄関の残骸だと思われる原形を全く留めない
瓦礫が傍らにかたまって積まれていた。
これでこの丘には何も無くなった、当時は6棟あった面影は
永遠に失われた事になる。





この窪みは当時の名残か
最近の造形なのか、
自分には判らない。
谷底の今の風景、
木材置き場?。
闇雲に笹薮の中を探してみたが
手掛かりになる物は見つからず、
諦めて戻り始めた時、それは見付った。
登りきると暫く植林した
林が広がる。
最後に訪れてから
20年以上経ち、
それでなくても4回目の訪問、
全く当時の位置関係を
憶えていないので、
どの辺りに小学校があり
神社が在ったのか判らない。
同じアングルで撮影しても、
人工物が減っている気がする。
ただ今回は前回に比べ
取り壊された建物は市街では
ないようだ。
小学5年から大学に入るまで
棲んでいた家だったが、
遂に空き家になっていた。
もうこのまま廃屋となる
だろうか
解体される事無く永く
現存していて
もらいたいのだが
何度も載せてるが五区の
入り口。
未だに車輪痕があるので
奥に行けるのでしょう。
市街の手前からの脇道。
下りきった所で四区に行く
脇道がある。
眞谷地西小学校手前でまた
道道と合流する。
近道ではないがよく使っていた
道である。


