

サイレン山から望む市街
まだ4区への橋が在るし
公衆浴場も現存していた頃。
市街に引越して来た時
まだ内風呂が無くて
何度か4区のお風呂に行った。
まだ木製のつり橋で
凄く揺れた記憶が残っている。

大曲からの林道
幼い頃一人で遊んでいた場所、
この奥でリスに餌付けをしたり、この脇を流れる砂金川で鰍を捕ったり、
山葡萄を探したり、二度熊と鉢合わせした経験が有る。
道幅がこの半分ぐらいしかなかったと想う。
一度母に大曲に行っていたのがバレて大目玉をもらった。
今想うと確かに幼い子供には危険な場所である。

1989年10月24日沼ノ沢から眞谷地二区間の映像です、
当時の8mmビデオでの画像で鮮明ではありませんが、
まだ多くの建物が残っている貴重な動画と想います。
生家
小学校4年生まで住んでいた
丘の上にある教員住宅、
当時ちょっとモダンな玄関だったのが
妙に気に入っていた。
水道が共同で外にあり流しの横に
大きな瓶が有ってそこに数日に一回
ホースで水を引いていた。
お風呂も数日に一度しか
水を換えられなかった。
冬に何度か共同水道が
凍結して破裂した記憶がある。 1989年10月13日


整地された奥に建てられていた記念碑、
私には墓標に見えた。
下に刻まれた校歌、何度となく歌ったはずなのに
全く記憶にない。
仰ぐ山なみ 陽に映えて
明け暮れわれら 学舎に
校訓高く かかげつつ
磨ききたえる 身と心
西小学校正門跡
まだ取り壊されてから
誰かが使っていたらしく、
整地された状態だった。
Tの写真とは年代が
それほど離れていないはずなのに、
別の場所のようだ。
写っているのは私の若かりし日の
姿である。



真谷地墓地の裏山から望む6区
判りずらいかもしれませんが
遠景にアパート群が見える。
私が住んでいた頃にはなかった。
あの辺りには木造の長屋が並んでいた。

6軒長屋
生家の玄関の向かいに直行して建っていた、
6棟続きの長屋、
いろんな人たちが住んでいたが
どういう方達だったかは知らなかった。
この長屋だけではなく、
教員住宅以外の住人の中に若い大人の男性が
居なかった事になんの疑問も持っていなかった。
炭坑の厳しい現実がここにもあった。
1989年10月13日
i以降全て1989年5月5日撮影
人が住まなくなった住宅は廃墟と化して行く。
1989年10月13日
真谷地汽車6区駅より
十数年間見つづけた風景、
勾配が緩くなり、道幅が広くなり、
舗装され、時が経つにつれ整備され、
また荒廃して行く。
生家(6区の丘の上)から望む鬼首山
下の道路のように見えるのが真谷地汽車の線路の跡で当時ここを真谷地汽車がモクモクと
煙を吐いて通り過ぎていった。
四季折々いろんな見え方をする鬼首山と蒸気機関車が幼かった目から観ても感動させられた。
市街に引っ越す際最も残念に想ったのは、この景色と、裏庭の父と母がここに引っ越して来た時に
植えたという柳の木との別れだった。
今でも時々この風景の夢を見る。
真谷地汽車とのコントラストの素晴らしさが強く焼き付いているのだろう。 1989年5月5日
真谷地汽車市街駅跡
階段だけが残っている。
この階段の上がホームになっていた。
1965年に旅客運送が廃止してしまったが、
この階段だけは今も残っていると想う。
高校2年の時この階段はすでにこの状態だったが、
この上に見たくないものを観た、まさしく怪談。
ここに写っているのはそういう類の者ではありません。

