












アパート群の端っこで山ぶどうを発見袋一杯採りました
酸っぱいのが苦手なのですが、昔山に入ってはよく食べていたので、
この山ぶどうは酸っぱくても想い出深く、食べれます。



50年前この辺りは数えきれない木造の炭住がびっしりと並んでいた。
一日中人の声が聞こえ、生活音に満ちていた。
今聞こえるのは鳥の声と山を越えて自衛隊のドーンドーンと演習音だけ。


昨年もですがこの銭湯を利用できなくて、残念です。
番台のおばさんと話をするのを楽しみにしていたのですが
パンダが淋しそう
もう何十年ここに淋しくたたずんでいるのか。
炭坑の街だった真谷地には似つかわしくないがここで育った子供達に
可愛がられていたのだろう。

沢山の猫達が西小側の端に
沢山居たのですが、
駆除から免れ生き残った2匹、
多分兄弟なのでしょう、
私には見分けがつかない。


橋の下の河原に露出した堆積層でも化石採集していた。

六部から微かに
六区の屋根が視える

真谷地汽車六区の駅にあった踏切を渡り教員住宅が有った丘と大曲へ向かう道、駅は小学校時代になくなり、今はもう線路があったであろう草原があるだけ。
吉田商店の横に出る道ももう痕跡さえない。

左は線路跡
右は750号線に降りる方向
写真左側が駅跡

踏切があった辺りから撮影
右に光聖寺と真谷地墓地



右が大曲へ向かう道
ここから右に曲がると丘へ(右下)向かい
直ぐ左に畑と二軒長屋跡の間の坂道(下)
水道が坂道の左側に二か所あった。
冬にはよく破裂した。
光聖寺との間には池があったが小学校低学年の刻に
水が抜かれ谷になった。
馬が転落して死んでしまったという昔話の通り
骨を見つけた強烈な記憶がある。
今は住宅は全く無いが地形だけは何となく残って
いるのであった場所は判る。
父がレッドパージで教員を追われ
市会議員になって教員住宅を出されて市街に移る
小学4年まではここに住んで居た。
ここを知らない人には
何を写しているか全く
判らない写真



左の建物が昔山楽荘があった場所この丘との間を汽車が走っていた、今は樹木が生い茂り全く判別できない

左の光景が目に入ると帰ってきた感情がこみ上げる
一気に数々の想い出が涙となって溢れ出てくる。
左に後半に掲載している丘に向かう道
右には六区のバス停、六区の炭住、公園、
奥には真谷地西小学校
真谷地の奥に向かう道路
五区があり、市街があり、四区があり、
三区があり、二区・一区に向かっていた
昔はバスがようやくすれ違えた幅
道幅が広げられ舗装されたのは、
私が小学校高学年になった頃

真谷地の入り口、真谷地橋、真っ黒い川が流れていたが今は清流








集会所前の木々は紅葉終わってました


