









市街裏通り、どんどん家が壊せれていっている。
この撮影後、この通りにお住まいの
おばあさんと話す機会を得たら、
私の父と母を憶えていてくれた。
左は真谷地消防団詰所、この前で夏休みはラジオ体操をしていた。
祭りもこの前で行われていた。
下は元我が家の正面に位置する菅井商店。
吉田洋服店、看板がもう判別困難になっていたが
母が名前を憶えていた。 仕立て屋さんだそうだが。
夕鉄バスの車庫跡、今は何かの倉庫らしい
市街の農協があった痕跡、このスロープの上に
小さかったが在った。
真谷地西小学校跡
プールは1970年代まで学校の裏にあったが、
その後ここに移設、
確か小学校校長先生の住宅があった場所。
グランド跡は何度も整地されたらしく
行く度に変わっている。
跡地の碑が見当たらない、
撤去されたのか、移動したのか。
面影は正門とここから望む山々だけ。
右:真谷地汽車市街駅跡
もう大分見えなくなってきた。
其の内草木に覆われて見えなくなり、
土に埋もれて行くのだろう。






















道田商店、両親が引越して来た1950年前後
ここで初めて買ったのがシュガーポットで真谷地で
初めて所有したと父が自慢していた。
一日数本のバス
中学高校時代
このバス停から通学していた
毎日少しづつ我が家の近くに
移動させようと、本気で企んでいた



中学時代好きだった人の
親戚にあたる福井電気店
我が家の家電は全て
ここで買っていた。
おじさんに逢いたくて
玄関まで行ったが
結局チャイムは押せなかった。
逢っておけばよかった。
でも憶えていてくれてないかも
夕張自動車教習所


清水沢駅
高校時代の想い出が詰まっている所
待合室のこの場所は一生忘れられない
当時長椅子が在った


沼ノ沢向陽中学跡
碑だけが存在した証





吉田商店。
子供の頃母にもらった10円を握り締めて、
この店にお菓子や玩具を買いに来た。
隣にも店があったが、
私がまだ丘の上に住んでいた刻に
火事で消失した。
当時はまだこの店も平屋だった。
下の写真其の頃からあったカステラ。
今もあるとは思わなかった。
沼ノ沢で発見し思わず買ってしまい
変わらぬ味でした。



六区かつては長屋が数え切れないほど軒を
並べていたのだが、今では野原ばかりが目立つ
下は光聖寺
この日はお盆で、こんなに沢山の車が
走っている真谷地を生まれて初て見た。
それだけここを離れた家族が多いという事。
哀しい現象である。

四区、ただの野原にしか見えない。
同級生の家の場所も判らない程。
市街から四区への橋、昔吊橋だった。
橋を渡った右に公衆浴場があった。
唯一橋桁が残っていた。
ここに橋が架かっていて、
真谷地小学校、真谷地神社に
上がって行けたのだが今はその道さえない。
瓦礫と私には判らない部品が散らばっていた。



鉄道用ホッパー
近いうちに倒壊するのでは。

二股峠から入る旧夕張隧道
すぐ隣に新しい新夕張隧道がある。


炭鉱事務所
縦坑と共に幼い頃から
真谷地の象徴の様に想っていた建物、
何時までも残しておいて欲しい
建造物の一つです。





保健所だったと想う
小学校の頃
見学に入った事がある
ギョウチュウとかサナダムシの
ホルマリン漬の標本が不気味だった
夕鉄バスの墓場。
私も
父も母も
友人も
好きだった人も乗ったバス。
もう人生を乗せて走ることも無く
朽ちてゆくのか。

谷底への入り口、直前で立ち入り禁止になっていた。
周りには一切家は無く廃屋、解体跡もなかった
一区に行ってみたかったが断念。
六区の丘の上には教員住宅だった2軒長屋(私の生家)だけが昔の面影を残していた。
6軒長屋も同じく教員住宅だったブロック2階建ての住宅も
全く痕跡が無く野原になっていた。
木々が生い茂り鬼首山も見えづらく、家の窓からいつも見ていた
真谷地汽車の線路も見えなくなっていた。
日没、丘の上から見た鬼首山
更に暗くなってもシルエットが確り観えていた
その後夜中じゅう雨が降り雲に隠れてしまった。
朝になっても雨は降り続いていた。

これは
ダンプ用の
ホッパー
二股峠にあった山楽壮その後名前が変わって
存続したが、事故等の為1993年閉鎖。
今は心霊スポットになっているとか。




高校の下車駅、
駅舎だけは変わらず在ったが。
